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けろてぃぶスタイル

主体的な生き方を模索するミニマリストのブログ

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ミニマリストになった2016年を振り返る

こんにちは。とうとう2016年も今日で終わりですね!

今年は、あなたにとってどんな一年でしたか?

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今年一年を振り返って、2016年を締めくくりたいと思います。 

 長文になりそうです。良かったら読んでください。

 

自分の人生の中で大きな転機となる年でした。

私は、今年21歳になる小娘です。毎年「嗚呼、あの頃の自分は幼かったな」と思うくらい成長を感じるのですが、今年は、特にそう思います。

良い出会いが沢山あったからです。

 

このブログでも散々言っておりますが、ミニマリストという生き方に出会い、かなり変わりました。

 

変わったことについて

実は、精神病院に行くかどうか迷ったくらい病んでいました。

母にも心配され「けろちゃん、もう精神病院行こうか?」と言われたのが今年の夏でした。(母からそんなことを言われてすごくショックでした。やっぱり自分っておかしいんだ…って。)

そんな自分が、ミニマリストになってから変わりました。

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毎日死ぬことや、死後の世界のことばかり考えていました。(今考えたら、まぁまぁヤバい)

でも、気が付いたらあんまり考えなくなっていて、

なんでか、とても幸せなのだということに気が付きました。

生きていてもいいんだ

自分が生きていることって捨てたもんじゃない。

自分に自身がなくて彷徨っていたのに、

否定的で悲観的にしか物事を見ることができなかった自分が、

大らかに物事を捉えて、

心を落ち着かせることができるようになっていました。

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以下、病んでいたことについての具体的なことを綴ります。(飛ばしてくださってOK

何も手がつけられないくらい心ここにあらず、そんな状態でした。でもそれはあくまでの自分の内面的な部分においてだけです。

勉強は好きなのと、無断にプライドが高いことが幸いして、学校には通っていました。友だちも、仲良くしてくれましたし、バイトも楽しいので行っていました。私が病んでいることに気づく友だちは、私がむしろ元気すぎるからわかったのだろうと思います。

典型的な気負いすぎる長女という感じですね。

いつもがんばりすぎていたんだなぁって思います。いままでの自分ならこんな風には絶対書けないと思います。「頑張りすぎ」なんて贅沢すぎる言葉です。でも気づいたんですよね、頑張りすぎるって、無理しているってことに。自分のことをが嫌いだったから、そんな自分が出てこれないように、無理してでも何とかしなくちゃいけなかったんです。無理していないと自分の存在価値が見出せなかったのです。

夜になると、どうしようもない気持ち…なんと言ったらいいのかわらりませんが、微塵も未来に希望なんて持てなかったし、自分なんて死ねばいいと思っていました。

私の首や腕の皮膚は、ひっかきすぎて爛れています。皮膚科でステロイド系の薬を貰ってきて治しても、また自傷行為が抑えられなくて傷だらけになってしまいます。かきむしらなくなった今も痕は消えません。たまにアレルギーなどで再発するので今も薬を塗って様子を見ています。

金縛り&耳鳴りが酷くて、朝までぐっすり眠れませんでした。

月に一回程度なのですが、何をしてても涙が出てくる日が必ずありました。そんな日は学校では大変でした。そんなことで泣くなよってことで泣いてしまうんです。常に感極まっている日です。感謝を感じても泣くんです。悲しくても苦しても嬉しくても何しても涙が出てくる日。もう超めんどくさかったです。そんな日は「ああ、今日は何しても泣いちゃう日だな」と認識して、そつなく過ごしていました。

たまに過呼吸にもなりました。一番困ったのがバイト中に過呼吸になったことでした。その日は父とケンカしてからバイトに来たのです。泣き止んでいましたが、目が腫れているので、バイト先のみなさんに心配していただきました。そしてあろうことか、そのことで何かが込み上げてきてしまって涙が止まらなくなってしまったんです。今からバイトだから泣き止まきゃ!と、焦燥感で余計に泣き止めません。バイト先の方々に本当に心配していただき、「こんな自分を心配してくれるなんてなんて優しい人達なんだろう、この人達のためにも早く泣き止んでお礼を言わなくちゃいけない!それになにより迷惑かけれれない!」…云々。そしてパニックになりしばらく呼吸困難でのたうち回りました。

そんなことがあって自分が怖くなりました。自分の感情がわからない、コントロールもできない。自分大嫌い。自分が恐ろしくなっていました。

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以上、ざっくりお伝えしましたが、わりと病んでました。

ミニマリストをめざして、周りのモノと向き合い、関係と向き合い、自分自身と向き合っていると、不思議と病んでいたのが嘘のように安定してきました。

 

あるとき気が付いたのですが、自分って幸せやな、幸せってそもそも見ようとする目がないと見れないものなのだと気づきました。(今更感がありますけどね、よく理解していませんでした。)

 

幸せを受け取るポストみたいなものをイメージするとわかりやすいと思います。

そのポストには常に幸せが舞い込んでいます。そして中には幸せ手紙であふれているのですが、私はそのポストをぶっ壊して真っ黒な絵具で汚い水で汚して、せっかく届いた幸せの手紙を読めなくしていました。舞い込む幸せ手紙も、封すら開けずにギッタンギッタンに破りしてて読もうともしなかったんです。

元を突き詰めれば私の世界に対するモノの見方がすさんでいたのですが、その責任を自分自身に科しても仕方ありません。そんな自分ですら許してあげなければ、幸せポストは復活しませんから。

抽象的な話はこれくらいにしておきます。

 

それくらい、自分は変わりました。

泣きわめくこと、首をひっかきまわす自傷行為もしなくなりました。

病んでいたのがウソみたい。

メンヘラだった自分がウソみたいに、今すごく安定しています。

安定していることすら忘れるくらい平和で幸せです。

 

一段上に立って見晴らす、俯瞰する

そんな余裕のある物事の見方ができるようになりました。

ミニマリストになってちゃんと自分自身のことを管理できるようになりました。

21歳にもなってできなかったのが恥ずかしいです。

 

「浅田ちゃんはほんと自信ないね、来年はもっと自信をつける一年にしなさい」と、懇談でバイト先のママに言われたのが、去年の11月です。懐かしです(※水商売ではありません笑)

 

今も自信がめっちゃあって、自分って素晴らしい、そんな風にはまだまだ思えないのですが、とりあえずは自分のことを許してやっています。

「ダメでもいいじゃないか」諦観にも似たこの考え方ですが、いまは諦観ではなく、赦しの心の言葉となっています。

 

そんな風に自分在り方、それ自体が変わったので、私にとっては世界が変わったようにも見えます。

最近、その辺に生えている木や、星空、なにげない風景、そんなものを見ても幸せを感じます。さっき、トイレに行ったときもなぜか幸せを感じました(←むしろやばい?)

 

まだ、この変化について分析的に整理しきれていないのが現状なので、かなり抽象的な変化についてお話しました。ほんとにまとまりのない感じですみません。とにかく、、

2016年は、根本的なことが変わった一年間でした。

ほんと、いろんな物事、人々に感謝しています。

 

わたしがメンヘラだったことを知っている友達は「最近大丈夫?」と聞いてくれます。

「めっちゃ元気!」とわたしが答えると逆に怪しまれます(笑)。

心配してくれる友達に感謝しています。

わたしの友達は本当に優しいです。

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来年も、いろんなことあるでしょうけど、

全て舞い込んだ幸せなんだ!って思います。

だから、確信していることは、2017年も幸せだ!ってことです。

それは私だけじゃなくて、みなさんもそうですよ。

うまく言えないのだけどね。

 

今年もありがとう!

読んでくださった、みなさんもありがとうございます。

嬉しいです!

 

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